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君とアニメと人生と

アニメ・人生・仕事の三本柱でお送りします

「生きること」と「働くこと」の関係性とは

仕事 仕事-働き方

先ほど、こちらの記事を拝見しました。

少し思う所があったので、私も同じようなテーマで書いてみようと思います。

記事での主張

ご紹介した記事では、「生きること」と「働くこと」のどちらが「手段」でどちらが「目的」なのかという議論だったわけですが、結局のところ「生きる」のが目的で「働くこと」はその手段だということが言いたいのだと解釈しました。

私にとっての「生きること」と「働くこと」

しかし、私の考え方は少し違いました。

そもそも、私にとって「生きること」と「働くこと」は限りなくイコールな関係なだと思うのです。

「生きること」=「働くこと」ではないか?

これを説明していくには、問題を単純化するべきだと考えます。なぜなら、文化の著しく発展した現代では、「生きること」一つに対しても様々な要因が複雑に絡まっているからです。

例えば、文化が発展する以前の人間社会では、一定の人が集まって村を形成し、その村ごとに食物を育てて自給自足の生活をしていたわけです。ここで農作業をしたり、農作業から帰って来た人の疲れを癒したり、村の意見をまとめたりすることは、同時に生きることと同義であったはずです。村の中で農作業もせず、誰の役にも立とうとしない人には、食料が与えられるはずもありません。そこに、手段や目的といった関係性はなく、当然のこととしてあったはずです。

それが現代では高度な頭脳労働等の出現によって、この単純な構造が見えづらくなっていて、「働くこと」と「生きること」が分離しているような錯覚を起こしているのではないでしょうか。

働かないということは死んでいるようなものだ

ここで一応説明しておきますと、私が言っている「働く」ということは、賃金をもらって何かをするということを指しているわけではありません。昔の村の人も、全ての人が農作業をしていたわけではありませんからね。体の弱った高齢の人や怪我をした人でも、その村のためになる何かをしていれば、それは立派な「働く」だと思います。

つまりもし仮に、何らかの理由で大金が手に入ったため、全く働くことをせずに生きている人がいたとしましょう。

私からすれば、そんな人はもう死んでいるようなものだということです。

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