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君とアニメと人生と

アニメ・人生・仕事の三本柱でお送りします

命の火を何のために燃やすのか

人生 人生-考え方

私は最近“死”というもの意識するようになりました。

恐らくその原因は、私の祖母が亡くなったことと、私自身が病と闘っているからだと思います。(※私の病は、命にかかわるようなものではないです)

今回は、人の命について私がここ2ヶ月で考えてことを記していきます。

最後に私が祖母にかけた言葉

私の祖母は去年の11月27日に83年間の生涯を終えました。それは、考える暇もないくらい突然のことでした。炎というのは消えるときまでずっと燃えているが、消える瞬間というのは本当に一瞬だと感じました。

 

私が病院にお見舞いに行ったときには、祖母はもう意識がありませんでした。そして私が祖母に会いに行った日の深夜、静かに息を引き取りました。

 

告別式の日、私は心の中で祖母にこう言葉をかけました。

「私もあと何十年かこっちで頑張るから、ばあちゃんは先に行っててね」と。

こんな言葉が自然と出てきた自分に、少し意外な感じがしました。我ながら、23歳の若者が言う台詞ではない気がするから。

死は等しく全ての人に訪れる

私がなぜ祖母にあんな言葉をかけたのか、自分自身に問いかけてみたんです。

それは多分、人間にとって”死”というものが必然であることを何となく理解してきたからだと思います。

人間の社会は不平等や不公平ばかりだが、誰にでも絶対的に等しいことがあるとすれば、それは「いずれ死ぬ」ということぐらいなのではないだろうかと。

死と病は人に“生”を自覚させる

人は、自分が生きていることを実感するのはどんなときでしょうか?

多分それは、死ぬときと病にかかったときだと思います。


本当なのか定かではありませんが、人は自分が死ぬ際、走馬灯を見るのだといいます。走馬灯というのは、まさに自分が生きてきたことを再確認する行為・現象です。大切なものは失ってから気付くということをよく聞きますが、まさにそういうことなのだろうと思います。

 

病もまた、人に”生”を実感される。人として普通に生きるということを邪魔されたとき、人は初めて生きていることの実感が湧く。

概して健康であるときは、自分が生きていることを実感しづらいのではないでしょうか。

命の火を何のために燃やすのか

人の命は炎に似ています。炎は別に何のためでもなく燃え続ける。例え何もしなくても、必ず消えるときが来ます。

 

しかし、炎には使い道があります。周りを明るく照らしたり、燃えるときのエネルギーを他のエネルギーに変換することもできる。自分が燃えている間なら、他のものに火をつけて新しい炎を作り出すこともできるのです。

 

いつか必ず消えてしまう自分の炎を何のために燃やすのか。そのことを意識しながら生きていかないと、いずれ必ず後悔する時が来る。そんな気がしました。

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