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君とアニメと人生と

アニメ・人生・仕事の三本柱でお送りします

人はなぜ自由を放棄するのか

人生 人生-考え方

何千年に渡る人類の歴史において、”自由”というテーマは非常に重要かつ不可欠な要素として認識されてきました。人類は文化が発展していくにつれて、”自由でないこと”(不自由)を嫌悪し糾弾し続けてきたのです。その結果現在の人類世界は、奴隷や支配といった制度上の不自由の多くを破壊することができ、確かに良い方向に向かっているように思えます。

しかし、一旦制度から目を離して、個人に目を向けてみたらどうでしょうか?

皆さんは自由に生きていますか?自由を感じられていますか?

恐らくその答えは否。制度上の不自由が消え去っても、社会や会社、家族や友人、常識や固定観念など、さまざまなものによって不自由が生じています。

本当に週5日以上働かなければいけない?

例えば、多くの会社員は必ず週5日以上働かされています。しかし、誰が週5日以上働かなければいけないと決めたのでしょうか?本当は週何日働くかなんて、自分で自由に決められるはずです。3日間寝ずに働いて、後の4日丸々寝るのだって個人の自由のはず。ですが多くの人は、周りの皆と同じように週5日以上働き、そのことに対した疑問も感じていません。

制度上は自由なはずなのに、どうしてここまで不自由に生きることになってしまうのか。今回はそのテーマについて考えてみたいと思います。

人はなぜ自由を放棄するのか?

制度上の自由を死に物狂いで勝ち取ってきた人類の歴史。しかしそんな過去とは相反するように、多くの人はさまざまなものに縛られながら生きることを選びます。

なぜ人はわざわざ不自由な生き方を選ぶのでしょうか?

多分その答えは、自由と不自由が持つ構造上の違いにあります。もっと言えば、人間は二つの選択肢があったとき、より楽な生き方を選びやすいという習性にあるのでしょう。

[自由=不安]という構造

”自由”というのは無条件で「良いもの」だと思われがちですが、案外そうでもありません。皆さんも多少経験があると思いますが、自分で選ぶよりもいっそ誰かに決めてもらった方が楽なことってありませんか?

人間は環境的に自由であると、何かを自分のみの責任で選び取る必要があります。そして、自分で選んだそれは、もしかすると大きな間違いであるかもしれません。もしそれを自分の意思で選んだのであれば、その責任は全て自分に帰結します。自由な状況でそれを選んだのなら、誰のせいにすることもできません。

自由にはこういう構造があります。つまりこれは、自分が選択を間違えるかもしれないという”不安”が生じるということ。実のところ、”自由”と”不安”は表裏一体の関係にあるのです。「自由であること」ということは、同時に「不安と戦う」ということに他なりません。

[不自由=不満]という構造

これに対し、”不自由”というのは案外心地よいものです。先ほども言ったように、人は難しい選択を迫られるほど、自分ではない他者に選択を預けようとします。

人は不自由な環境に身を置くと、何かを自分一人の責任で選ぶ必要がなくなります。言い換えれば、選び取った結果に対する責任を自分以外の何かに押し付けることができるのです。間違いや失敗を自分以外の何かの責任できる。これが不自由の構造です。

要するに、人は不自由な環境の下では”不安”ではなく”不満”を感じます。当然ながら、”不安”よりも”不満”の方が何かに責任を押し付けられるので、人は楽に生きられるのです。

まとめ

人類の長い歴史において嫌悪の対象であった”不自由”。しかし、いくら制度上の不自由を消し去っても、人の心の不自由は一向に消え去りません。

わざわざ自分を不自由な環境に置いておきながら、自分ではどうしようもない何かに不満をぶつけることに何の意味があるのでしょう?先人たちが望んだ自由とは、決してこんなものではなかったはずです。

人が本当の意味での”自由”を手に入れるためには、不安と戦い続ける覚悟が必要。

あなたは今どんな不安と戦っていますか?

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