読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

君とアニメと人生と

アニメ・人生・仕事の三本柱でお送りします

批判は自分の為ならず、相手の為なり

人生 人生-考え方

今回のテーマは、人が自分以外の人間に向かって行う「批判」について。

民主主義の下において、人々は誰かを批判するという権利を持っています。しかし、ネットの普及などの環境面の変化によって、批判へのハードルは今も低くなり続けています。そしてその結果、ネット上にはモラルのない自己満足的な批判も非常に多くなってきました。
ここで今一度、批判とはどうあるべきなのかについて考えてみたいと思います。

物事は批判によって良くなる

批判には、物事の欠点や問題点を指摘し改善を促す力があります。自分は良かれと思っていることでも、他人の目からはまた違った見方が生まれるとも言えます。自分だけではなく、より多くの人に「良い」と思ってもらうためには他人からの批判が必要。

しかしその反対に、批判されないということは、翻って「このままで良い」という感覚に陥りがちです。このブログでも再三述べてきたように、絶対的に正しいことなんて誰にもわかりません。なので、自分以外の誰かから否定されないことぐらいでしか、自分の行動を肯定することができないのです。

要するに、たとえ批判の動機が自分自身の不満や不都合だったとしても、その批判がなされる意義はされる側の方にあるという側面が強いことがわかります。

自分の為の批判で溢れている現代

しかしながら、冒頭でも述べたように、現代は自分の為の批判で溢れています。

「自分の為の批判」とは何か?これは言うまでもなく、相手の為にならない批判のことです。もっと言えば、自己満足でしかない批判。こういった誰も得をしない批判をするぐらいだったら、無関心である方がまだマシですよね。

自分の為の批判は、ストレスの発散ぐらいにしか役立ちません。普通に考えれば、そのストレスを感じる原因となっている事柄の方を批判するべきなのですが。

批判していいのは批判される覚悟のある奴だけ

「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」という有名な台詞がありますが、これはそのまま「批判」にも当てはまります。

この記事で述べてきたことを踏まえると、「相手の為の批判」には自分も批判される覚悟が必要です。なぜなら、「相手の為の批判」はしっかりとその相手に伝えなくてはならないから。

その一方、自分も批判される覚悟がなくてもできてしまうのが、「自分の為の批判」ということになります。批判される覚悟が必要ない理由は、自分の批判を相手に伝えようとしないから、または最初から相手に批判する権利を与えないから(匿名やブロックなど)などが考えられます。

まとめ

批判がなくては良い社会はありません。しかしだからといって、モラルのない批判ばかりでは良い社会とは呼べないことも明らかでしょう。

もし自分が何かを批判しているとき、その批判は誰のために行っているものなのか自分に問いかける必要があります。日頃から「自分の為の批判」にならないよう意識するだけでも、全く意識しないのとは雲泥の違いがあるはずです。

© 2014-2016 君とアニメと人生と