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君とアニメと人生と

アニメ・人生・仕事の三本柱でお送りします

そもそも「意識」には高いも低いもない

人生 人生-考え方

何やらはてなブログ界隈が「意識高い系」の話で持ちきりですね。何をかくそう、この私もかつて「意識高い系」と言われたことがありました。そんな立場から、この議論について1つ意見を申してみたいと思います。

トピック「意識高い」について

そもそも人の「意識」に高いも低いもない

結論から言ってしまうと、私が思うに「意識」には「高いも低いもない」のではないでしょうか? 要するに、今回巻き起こった「意識高い系」に関するひと悶着も、言ってしまえば実体のない空論であって、議論するだけ無駄だったということです。

「意識」の違いは高低ではなく、方向性(ベクトル)の問題

ですが、確かに人の「意識」には少なからず違いがあります。さて、その違いとは何の違いなのでしょうか? 既に述べたように、私には「高低」の違いなどないように思います。そうではなくて、人の「意識」における違いは「方向性」の違いしかないのです。

例えば、就職活動に役立つと思ってTOEICの勉強をしている大学生がいたとしましょう。なんかもうこれだけで、「TOEICの勉強を全くしていない大学生」から見れば「意識高い系大学生」の典型な気がします。

ただこの場合、必ずしも全ての学生にとって「TOEICのスコアが良いこと」が直接就職に効果があるわけではないですし、その反対にものすごく役立つ場合もあります。この両者の違いは言うまでもなく、「方向性の違い」です。

意識高い系問題の要因は「社会の意識」

ここまで非常に簡単にではありますが、「個々人の『意識』には高低の違いなど存在しない」ということを説明してきました。しかし、現実として意識高い系問題は起こっているわけです。

その要因はどこにあるのか、それは「社会の意識」とでも呼ぶべき方向性でしょう。この意識というのは、基本的に「二者択一式」であることが多いです。民主主義的と言ってもいいかもしれません。例えば、

  • TOEICの勉強はしないよりした方がいい
  • フリーターよりは正社員の方がいい
  • 不安定よりは安定の方がいい
  • 依存するよりは自立した方がいい
  • 太っているよりは痩せている方がいい

といったものです。そしてこの「社会の意識」が決めた方向性に乗っ取っている人を、「意識高い系」と呼んでいるに過ぎないのです。

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