だからこそ僕は、きちんと非難を受けられる“一流”になりたい


超一流 プロ野球大論 (一般書)

僕は野村克也さんの考え方が好きだった。野球をあまり知らない人からしたら、「なにがすごい人なの?」という感じだろうと思う。なので、僭越ながら野球を知らない人向けに野村克也さんの凄さを簡単に説明したい。

野村克也さんは「ID野球」という概念を日本に広めた第一人者である。この「ID野球」とは、経験や勘だけに頼ることなく、データを駆使して科学的に戦略を練り、実行する手法のこと。

要するに、「頭を使った野球」だ。野球においてわかりやすい「才能」といえば、足が速いとか球が速いとか、遠くにボールを飛ばせるとか、そういうフィジカルなことだ。でも、頭を使って野球をすれば、そんな才能を相手にしても頭脳で勝てるというのだ。

とても残念なことに、野村克也さんは2月11日に亡くなられた。編集者としての僕の密かな夢は、「野村克也さんの本を作りたい」ということだった。残念ではあるのだが、既に諸先輩方が野村克也さんの本を数多く出してくださっているので、ひとまず野村克也さんの遺伝子はこの世に残っている。よかった。

 

さてここで、そんな野村克也さんが遺した言葉を紹介したい。(ちなみに、実は僕も最近この言葉を知ったばかりです)

人間は無視、称賛、非難という3段階で試される。三流の人間は相手にされず、二流の人間はおだてられるだけ。一流と認められて初めて非難されるんです

僕はこれを聞いてハッとした。

そして、最近感じていた自分のモヤモヤの正体に腹落ちした。

どうしようもなく、今の自分は「二流である」と気づいてしまったのだ。

とてもありがたいことに、最近色んなことで褒めていただけるようになった。書籍編集者として色んなコミュニティにも顔を出し、様々な分野で活躍されている著者ともお仕事をさせていただいている。

しかし、「褒められる」という行為はとても嬉しいのだが、残念ながらそこに「進歩」はない。なぜなら、「褒める」とはつまり「期待通り」であるからだ。

一方で、非難を喜んで受けられる人はいないだろう。自分という存在を否定されたように感じることもあるかもしれない。でも、一流になりたいのならば、非難されることを恐れてはいけない。

非難を受けるということは、そこに期待があり、そして伸びしろがあるということだ。もちろんなかには、的外れな指摘や揚げ足取りだってある。だけど、進歩のきっかけになる非難だって必ずあるはずだ。

だからこそ僕は、きちんと非難を受けられる“一流”になりたい。

 

※この記事は2020年4月13日にnoteで公開した記事を再掲載したものです。